山村暮鳥 略歴


※ 細かい箇所が間違っている可能性がありますが、随時訂正していきます。
和暦(西暦)年齢日付主な出来事主な作品
明治17年(1884)01/10群馬県西群馬郡棟高村(現高崎市)に生まれる。実父が未入籍のため祖父の二男の「志村八九十(はっくじゅう)」として届けられた。
明治18年(1885)1
明治19年(1886)2
明治20年(1887)3
明治21年(1888)4
明治22年(1889)55/1実父の養子として入籍され「木暮八九十」となる。
明治23年(1890)6元総社尋常小学校に入学。
明治24年(1891)710/22堤ヶ岡尋常小学校に転校。
明治25年(1892)8
明治26年(1893)9
明治27年(1894)10
明治28年(1895)11高等科を中退。
明治29年(1896)12
明治30年(1897)13
明治31年(1898)14
明治32年(1899)1510/1堤ヶ岡尋常小学校代用教員となる。
明治33年(1900)16
明治34年(1901)17前橋聖マッテア教会の英語夜学校に毎夜通学。
明治35年(1902)185/6堤ヶ岡尋常小学校に退職願を提出。
6/6聖マッテア教会長老ゼームス・チャペルにより受洗。
8月下旬宣教師ウォールの転任で、青森市へ赴く。
明治36年(1903)199月日本聖公会聖マッテア伝道学校に入学。その後聖三一神学校に編入学。
明治37年(1904)20
明治38年(1905)21戦争補充兵として招集。7月下旬から翌2月中旬まで満州へ。
明治39年(1906)22聖三一神学校3年級に復学。
明治40年(1907)236月 雑誌『南北』創刊
明治41年(1908)246月聖三一神学校卒業。
8月秋田聖救主教会に伝道師として赴く。
明治42年(1909)252月下旬聖公会湯沢講義所に転任。6月 雑誌『北斗』創刊
12/14日本聖公会仙台基督教会伝道師に着任。
明治43年(1910)2610月上級聖職者と衝突し、日本聖公会仙台基督教会に休職願を出し上京。8月 『LA BONNE CHANSON』
明治44年(1911)276月水戸聖公会赴任。
11月常陸太田講義所に移る。
明治45年(1912)28
大正元年(1912)289月日本聖公会 平講義所に転任。
大正2年(1913)296月圡田冨士と挙式、養嗣子となる。5月 詩集『三人の処女』
10月第三回修養会で大洗へ。
大正3年(1914)306月萩原朔太郎、室生犀星とともに「人魚詩社」設立。5月 文芸雑誌『風景』創刊
6/18長女玲子誕生。
大正4年(1915)318月牛久の小川芋銭を初めて訪問。3月 「人魚詩社」より『卓上噴水』創刊
12月 詩集『聖三稜玻璃』
大正5年(1916)324月 『LE・PRISME』創刊
大正6年(1917)339月 随想集『小さな穀倉より』
大正7年(1918)341月水戸ステパノ教会に転任。
4/14「黎明会」例会。翌15日、大洗子の日が原の散策。
9/2次女千草誕生。9月 『ドストエフスキー書簡集』(翻訳)
9/28大喀血をして病床に伏す。10月 雑誌『苦悩者』創刊
12月静養のため翌年5月12日まで千葉県北条町に移る。11月 詩集『風は草木にささやいた』
大正8年(1919)356月日本聖公会伝道師休職。
7月大貫(現大洗町大貫町)の前田方に移る。
12/19教会より来年6月以降は解雇とする旨の通知を受ける。
大正9年(1920)361/16北好間の菊茸山に移住するも住民の反対にあい23日下山。
1/27磯浜明神町の鬼坊裏(おにぼううら)別荘に移る。(現在は「老漁夫の詩」の詩碑が建つ)
5月「鉄の靴会」発足。8月 童話集『ちるちる・みちる』
大正10年(1921)375月 詩集『梢の巣にて』
7月 詩選集『穀粒』
大正11年(1922)383月 小説『十字架』
6/23小説「春」を脱稿。5月 童謡童話集『万物の世界』
11月 童謡『葦舟の児』
12月水戸の郷土芸術社の雑誌『郷土』の監修者となる。12月 童謡『少年行』
12月 童話集『お菓子の城』
大正12年(1923)395/1新聞『いはらき』に小説「春」を連載。(9/10まで)1月 長編童話『鉄の靴』
5/13大洗ホテルでの俳句大会に出席。
7月下旬小説「鼹鼠のうた」を脱稿。
9/1文芸雑誌『星のひかり』が山村暮鳥詩集を出す。
大正13年(1924)401/15平の同人雑誌『みみづく』に「友らをおもふ」のタイトルで「おうい、雲よ...」の詩を発表。8月 詩集『風は草木にささやいた』改版
7月『雲』の出版準備にかかる。9月 評伝『ドストエフスキー』(翻訳)
11月『雲』の校正を病床で続ける。10月 聖者伝『聖フランシス』
12/8暮鳥死去。肺結核の悪化と腸結核の併発による。
9日 火葬。11日 水戸ステパノ教会で告別式。水戸光霖寺(現在は祇園寺が管理)に『雲』の仮製本とともに埋葬される。
大正14年(1925)1.25 詩集『雲』
大正15年(1926)
昭和2年(1927)5/1大洗子の日が原(ねのひがはら)にて『ある時』の詩碑の除幕。昭和28年(1953)に現在地に移設。

updated: 2018.03.20